当院で治療された方からのお手紙を紹介しています。
今回、フォローアップなどのプロセスでなく、患者さんご自身から、
感謝のお言葉と共に、書かせてくださいとうれしいご依頼をいただきました。
私たちのスタッフの人柄が、とてもよくわかる、嬉しいお手紙(メール)です。
(以下、原文ママ)
26歳の時に結婚し、不妊歴は約9年に及びました。
夫婦どちらにも不妊の理由がありました。
29歳のときに初めて行った西新宿の某不妊治療専門クリニックでは採卵を行っても空砲続きで、
やっと1個採卵できたかと思ったら受精にも至りませんでした。
その理由については私の卵巣がポンコツだからと言われ、深く傷つきしばらく
治療を休むことにしました。
しかし、その後心の傷はずっと癒えることなく、むしろ悪化していきました。
町中の妊婦や子連れ家族を見るのも嫌になり、会社では同僚の妊娠出産も喜べず。
家族も腫れものに触るように、私といるときは子供の話題を避けるようになりました。
自分に対しての自信までなくしてしまいました。
34歳のとき、このままでは一生後悔しそうだと思い再び不妊治療に挑戦することにしました。
必ずしも吉とでるとは限らない卵巣嚢腫摘出からスタートをし、その時にお世話になった病院の先生に
京野アートクリニックを勧めていただきました。ここでダメだったら諦めようという覚悟でいました。
京野アートクリニックの扉を叩いてから妊娠に至るまで1年半、採卵が思うようにいかない、
採卵ができても胚盤胞まで育たない、育ってもグレードが高くならない。。。打つ手が少なくなってきているのに
永遠にハードルが続くように思えたときもありました。ショートカットはなく、地道にコツコツ1年半かけて
胚盤胞を溜めていきました。
そのような中、採卵の手術中に手を握ってくれたり、いつも温かい応援の言葉をかけてくれる京野のスタッフの方々
にどれだけ励まされたことでしょう。特に橋本朋子先生にはとても感謝をしております。一見クールでさばさば
している感じで最初は質問をするときもドキドキしていたのですが、実際はわからないことを丁寧に教えていただき、
治療が一歩でも前進するよう色々な手を考えてくださいました。私の素人意見にもしっかり耳を傾けてくださり、
気づけば私は橋本先生に絶大なる信頼を寄せるようになっていきました。
治療の都度その結果を聞くのは不安だったけれども、診察室のドアを開けて橋本先生を見る度、「きっとこのまま
続けていればいつかうまくいく」と思えるようになっていったのです。
そのような精神状態になれたのが良かったのか、採卵回数は8回くらいに及んだものの2回目の胚移植で
妊娠できました。妊娠中も切迫流産や低置胎盤を経験し京野を卒業してから産むその日までずっと不安は
尽きなかったですがやっと我が子を抱くことができ喜びを実感しております。
自然に妊娠して産めないことに「幸せでない」と何度も落ち込み悲しんだこともありましたが、
体外受精にて色んな人の英知、力そして励ましをいただいて、沢山のハードルを一つ一つ
乗り越えながら生まれてきてくれた我が子は本当に幸せ者だと思っています。
改めて京野アートクリニックの皆様どうもありがとうございました。
第2子のチャレンジも京野で、と思っておりますのでその際はまたどうぞよろしくお願い申し上げます。
(お手紙はここまで)
当院のスタッフは、非常に個性豊かです。
ただ、目指すべきゴールは患者さんの妊娠・出産であることに変わりはありません。
全員がなんでもできるわけでない以上、それぞれの特性を相互に活かしあって、
患者さんを中心にしたチーム医療を提供しています。
こうした嬉しいお言葉も、厳しいお言葉も真摯に受け止め、
少しでも多くの方の卒業へつなげていけるように取り組んでいければと思います。
勇気の出る、嬉しいお手紙をありがとうございました。