卒業された患者さまからのお手紙を紹介しています。
今回は43歳での妊娠出産となった方のお手紙です。
(以下、原文ママ)
43歳、奇跡の妊娠でした。
それまでの経過は、34歳で結婚。
(この時卵子が老化するという知識がなく、子どもはそのうち…と余裕だった)
35歳で妊娠。7週で流産。
(夫の実家の圧力がストレスで生理が止まることもあった)
39歳で子宮筋腫手術。
(2mmの小さい筋腫3個だったが妊娠しやすくするために行う)
40歳で京野アートクリニックに転院。
この転院が大成功の道へとつながったと思う。
前医とは大違いで、最新医療で自己注射による通院回数の減少がとても助かり、
治療内容や進め方も手ごたえがあった。
41歳で年齢を考え、立て続けに採卵をして凍結受精卵のストックをし、
受精卵がなくなったら治療終了としチャレンジする。
しかし、移植は次々とNGでとうとうラスト1個の受精卵となる。
しかもグレードも一番弱い残りの1個で移植直後から出血もしていて、
絶望的な気持ちで判定日を迎えたが、妊娠判定陽性。
何が良かったのか全く分からない。
まさに神がかり的な妊娠判定でした。
この時結婚10年目。人工授精4回、体外受精10回目で、助成金もちょうどラストの10回目で、
ラストの卵という本当に努力が報われる形、ラッキーとしか言えない思いでした。
しかし、そこからの道のりも険しく、流産しやすかったため薬と注射の日々。
出血もあり、家事もできずにひたすら安静の毎日にハラハラ泣きながら、祈りながらでした。
そして5か月ごろからは切迫早産で入院。
まだ赤ちゃんが500グラムのころから
「出てこないでー」
と必死に寝たきり生活で過ごし、とうとう出産まで退院できず37歳で帝王切開でした。
小さめの子でしたが、五体満足であればとにかくよし!の思いでした。
マタニティーを着ることも出産準備をすることもできない寝たきり生活で大変でしたが、
夫、家族に支えられ、赤ちゃんが抱けたことはとにかく感謝です。
治療を経験した人にしかわからない、周囲の妊娠報告の苦しさ、つらい涙を何度も流し、
胸が締め付けられる位の切ない想い、金銭的に苦しい生活、先への不安など、
本当に報われる日が来たからこそ…ですが、
今渦中にいる方々は、この戦いの終わりが見えず苦しんでいると思います。
でもきっと奇跡はくると信じてみてくださいね。
(お手紙はここまで)
高齢での治療・妊娠・出産にはいろいろなリスクがついて回ります。
だからこそ、きちんとした情報をもとに一緒に考え、
最大限の技術でお応えしたいと思います。
素敵なお手紙をありがとうございました。